自分のコーナーを明るくできる人
ご無沙汰です。
ご無沙汰すぎてすみません。
新型ウイルスの影響が日に日に増していて、落ち着かない日々が続いています。
外出することも躊躇われて、休日も家で過ごす時間が長くなった気がします。
手洗い、うがい、出来ることをやるしかないと分かっているのですが;
片づけをしていたら、高校時代の卒業アルバムが出てきました。
今日は、高校時代の恩師の言葉を紹介したいと思います。
「自分のコーナーを明るく出来る人になりなさい」
先生が卒業アルバムに一言書いてくれたこの言葉を、20年近く経った今でも大切にしています。
先生は英語の先生で、ストイックな男性でした。
チャイムが鳴るまでは教室に入らず、廊下で待機。
チャイムが鳴ると同時に教室に入り、授業を始める。
どんな話の途中でも、チャイムが鳴れば授業を終えて帰っていく。
そんな先生は他に誰もいなかったから、新鮮でした。ぜったいに遅刻できないというプレッシャーもありました。
授業はとても分かりやすかったです。ストイックだが生真面目ではなく、留学中の体験を話してくれたり、流行の洋楽を聴かせてくれたりしました。
冒頭の言葉を卒業アルバムに書いてもらったときには、嬉しいながらも微妙な気持ちになりました。「自分のコーナーだけでいいの?」と。灰色の受験生活を終えて春から大学生になることが決まっていた私は、どうせなら、「世界に羽ばたけ」とか「世界を変えろ」とか言って欲しかったのです。ああ、若かった。
大人になった今なら分かります。「自分のコーナーを明るくする」ことがどれだけ難しいことか。
家庭でも職場でも、毎朝毎晩の挨拶ひとつ、電話の取次ぎ一つとっても、自分に余裕がなければそっけない態度になります。
愛想や心がけだけでなく、仕事をこなし、問題解決する能力も必要です。
判断を間違えれば、お客様や同僚や取引先に迷惑を掛けることになります。
仕事である以上、成果を出さなければ明るい未来はありまあせん。
先生の言葉は、「周りに配慮しろ」ということであり「責任を果たせ」「存在価値を示せ」ということでしょう。
結果として、「周りから必要とされ、愛される人であれ」ということでしょう。
それが、私自身の幸せにつながることだから。
教師というのは、教える人であり導く人なのだな、としみじみ思います。
たった一言、それが20年以上残っているのは、先生の日ごろの言動という裏付けがあり、言葉に説得力があったからでしょう。
店長も似ています。
昔一緒に働いていたスタッフと飲み会をしたとき、とある日の終礼の一言を何年も覚えていてくれたことは以前書きました。(○○さんは、高いところのディスプレイの乱れを自ら気づいて直していた、というようなたわいのない「褒め」がずっと心に残っていたそうです。)
また別のスタッフですが、先日Facebookで会社を退職したという投稿を見つけて「お疲れ様でした」とコメントしたところ、「○○さんは向いてると思うよ」と言われたことが励みになりました、と返事をもらいました。
本当に向いていると思ったから発した、何気ない一言でしたが、長年心に残っていたと言われたのは嬉しかったです。
もっとも、逆もあるのだと考えると身が引き締まります。
店長やマネージャーなど、上に立つ人の言葉はやはり重いのだな、と思います。
重さに躊躇して毒にも薬にもならないようなことを言うだけでは店は成長しないですし、やはりよく考えて、考えたうえでの本音をぶつけていくしかないのかな、と思います。(伝え方は配慮しつつ)
そうやって、自分のコーナー=自分の店、自分のチームを明るく保つことが店長やマネージャーの役割なのだと思います。